この春、娘がキリスト教系の大学に進学しました。
ありがたいことに、無事に入学式を迎えたのですが、 その式典の中で配られた冊子に書かれていた聖句が、 思っていたよりもずっとヘビーな内容で、思わずピッコロさんくらい目を見開いてしまいました。
そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。 都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。 (ルカによる福音書 21章20-21節)
・・・え?
逃げろ?滅び?ふぁ!?今から新生活始まるんじゃなかったっけ??いきなりディザスター映画のオープニングかと思ったほどのインパクト。
初心者にはなかなかにハードな洗礼でした(笑)
少ない睡眠時間で遠方まで駆けつけた、私の目も覚めるっちゅう話です。
入学という「始まり」の場面で、まさかの「立ち退き」や「滅び」を 想起させるような句が引用されるとは夢にも思いませんでした(笑)
気になりすぎて、その場でChatGPTと韓国人でキリスト教徒の友人にLINEし、解説を求めたところ (深堀りの血が騒いだと思ってください)、 どうやらこれはイエスがエルサレムの崩壊を預言した場面で、 都市が軍に囲まれた時の行動指針を説いたものだとか。
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都市が軍に囲まれたら=滅びが近い
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山に逃げなさい=安全な場所へ避難せよ
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都にいる人は退避せよ=危険な場所から離れよ
という、終末・危機管理の教えが強調されてる・・・らしい??
つまり、「何か危機的な状況に置かれたとき、自分の立ち位置を見極めて動けるように」 というメッセージとしても読めるのだと理解しました。が、厳密なところいまだによくわかった様な分からない様な・・・(やはり信仰していないと理解が厳しい部分がある気はしました・・・。)
なるほど・・・!と納得しつつも(した?いや、なんちゅーか・・・)、 新生活初日にこの洗礼を受けるのはなかなかにパンチが効いていませんか?みなさん?(笑)
ま、まあですよ、 「都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい」 というのは、
“同調圧力や既存の価値観に縛られることなく、自分の信じる場所へ歩み出していいんだよ”
“これからの学生生活で、自分の立つ場所や、向かう先を見極めなさい”
という応援のメッセージにも思えたのです。ということにしよう!この際!うん!
なかなかに扱いの難しい娘。新しい場所での学びも、暮らしも、戸惑うことばかりだと思います。 それでも、自分の足で立ち、自分の判断で選び、 必要であれば「山に逃げる」ことも肯定してくれるような、 そんな柔らかな強さを持った言葉として、 この一節をこれから見返すことになるかもしれません。(それが分かるくらい勉強して!)
ところで、その後新生活が始まった娘とよくLINEしているのですが、授業のことなどの話をしていたながれで、説教臭く感じたのか、いきなりバナナのかぶりものを被った猫の動画を送られ会話が強制終了させられました。
いや・・・言いたくなるやん・・・。
春は思いも親心も深まる季節なんですよ(笑)